最終更新日: 2024年5月21日
●長南町 公式プロモーションビデオ 長南町ってどんな町?
町広報担当職員「長田みなみ」が「長南町ってどんな町?」 をキーワードに長南町のイベントや観光スポットなどの取材をとおして、町民とのふれあいを1冊の取材ノートにまとめてゆくストーリーです。
美しい里山と、清らかな水に育まれた「長南町」を体験してください。
●長南町観光プロモーション 野見金公園 ~河津桜編~
春の早い房総半島は2月の立春のころから桜の季節が始まります。
平成16年に町民の皆さんが植樹した「河津桜」が、今年(H30年)も3月の初旬に満開を迎えました。
撮影当日は、やわらかい春の日差しを浴びてピンクに輝く河津桜の林の中を、甘い香りに誘われたメジロやヒヨドリが蜜を求めて忙しそうに飛び交っていました。
青空と河津桜が織りなすコントラストが美しい、早春の房総半島の里山をご堪能ください。
●長南町観光プロモーション 野見金公園 ~アジサイ編~
平成16年に、町民670人の手により桜の苗木500本と梅の苗木300本が植樹されて以来、町民の手作り公園として、少しづつ整備が進む野見金公園。
平成18年に植えたアジサイの苗木1200本余が6月の梅雨空のもと、美しい花を咲かせます。
地平線をバックに咲き誇るアジサイを空撮でお楽しみください。
●郷土の偉人 渡邉辰五郎 物語 ~女子教育の先駆者~
本町出身で東京家政大学の校祖である「渡邉辰五郎」氏。
幕末から明治へと激変する「時代」に見いだされ、黎明期の日本女子教育に、
大きな影響を与えることとなった足跡を、当時の逸話や彼が考案した画期的な教育方法をもとに紐解いていきます。
●移住者インタビュー① 長南町で「第二の人生」を始める
都会で仕事をし、そこで生活をしていても、「いつかは田舎暮らしをしてみたい」・「子どものころ育った田舎の風景が懐かしい」と考えている方は多いのではないでしょうか。
緑ゆたかで、昔ながらの田園風景の広がる長南町。
退職後、そんな長南町で住むことを選んだお二人にお話を伺います。
●移住者インタビュー② 枠にとらわれない田舎ライフ
「田舎は仕事がない」「生活するのに何かと不便」という一般的な考えを覆し、「田舎で新しい生活スタイルを始める」・「仕事に専念できる環境を求めて」という枠にとらわれない生活を求めて長南町に移り住んだ二組のご夫婦にお話を伺いました。
●町長インタビュー これからの長南町に向けて
近隣市町村同様、急速な少子高齢化や過疎化などの諸問題に直面している長南町。
「かつての活気と賑わいを取り戻し、誰もが健康で生き生きと安全に暮らせるまちづくり」、「将来を見据えた新しい長南町」にむけた施策を中心に、平野町長にお話を伺いました。
●東京家政大学コラボ企画 「教育の町をめざして」 町長・学長対談
東京家政大学の創始者である「渡邉辰五郎」先生が長南町の出身であり、教育の道に進まれたのも長南町からでした。
そのような関係で大学の学園祭に参加したり、地方創生では推進委員に教授の参加を頂いたりと、以前から交流がつづいています。
今回は、東京家政大学川合学長と平野町長が「教育の町をめざして」というテーマで対談しました。(平成27年10月撮影)
●長南町ふるさと納税のご案内 ふるさとメッセージ ちょうなん
ふるさと納税をとおして、長南町を応援してくださった方々に感謝の気持ちを込めてお贈りしている町の特産品。
豊かな自然と清らかな水に育まれた特産品の「ふるさと」をご紹介します。
【特産品を使った料理の詳しいレシピはこちら】
【れんこんレシピ】
【しいたけレシピ】
※ 動画中の「お礼の特産品」は、制作当時(H27年)のものです。
※ 最新の情報は、
ふるさと納税のページでご確認ください。
●長南町観光プロモーション ホタル観賞会
毎年6月中旬に、開催されている山内地先の「ホタル観賞会」。
町の一大イベントとして定着し、自然豊かな長南町を象徴するものとなりました。
町内外の認知度も高まり、観光客も年々増えています。
部屋の明かりを暗くしてご覧いただくと、幻想的なゲンジボタルの光をお楽しみいただけます。
●長南町観光プロモーション 長南町大花火大会
毎年、8月の17日に実施(雨天時順延)されている長南町大花火大会。
打ち上げ場と会場が近く、爆音が周りの山々に反響して迫力満点です。
色とりどりの真夏の夜の花の競演をお楽しみください。
●長南町観光プロモーション 長南フェスティバル2015
長南フェスティバルは、11月3日 文化の日に開かれる全町民あげての一大イベントです。
「文化祭」をはじめ、「農林業祭」・「老人クラブ連合会農産物展」・「商工祭り」が一堂に会し、地元の野菜やお米、産物などの多くの模擬店が立ち並び、特設ステージ狭しと沢山の催し物が行われます。
H27年は長南町合併60周年記念のお祝いで、「60」の人文字をつくりました。